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ABOUT
創業1916年 土と炎の町 岐阜県多治見市滝呂町
創業以来、私たちはオーダー食器を主体に製造してきました。
コストに合わせた商品作り、商品目的に合った製造方法など長年そこで得た経験と技術力は お客様の納得のいく商品作りにより近づき高品質、低価格、早期納品の向上につとめてまいりました。
生活の変化・洋式化にともない食器もまた変化してきましたが食器に求められるもの・・・
「使いやすさ」「清潔さ」「安心感」は変わらないものでしょう。
ひとり、ひとつだけ手に持つ器
そのひとつの器から感動と幸せを少しでも伝えれるような製品作りを目指します
Mission Statement
『カップを手にするあなたに幸せと喜びを提供します』
・私たちは常に進化し、価値ある創造を提案し、より良い商品を提供します
・培った伝統と技術を後世へ継承し地域社会へ貢献します
丸朝製陶所の役割
私たちは磁器の窯元としてさまざま商品を作り出すことができます。
その中で、最も得意な製作がカップ/マグです。
創業当時から製作したきた豊富な経験値と強みを活かし世界中のカップを手にする方々に新たな価値を提供したいと考えています。
創業1916年 美濃焼の里 岐阜県多治見市
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PRODUCTS
「 形、装飾、柄・ロゴ入れ、 彫刻、 把手(ハンドル)、 色 」 陶磁器における様々なオリジナル商品の製作に対応いたします。
形
小さな箸置きから大きなお皿までオリジナルの形で製作できます。
特に、得意分野のカップ&ソーサーにおいては各300種類以上の形を取り揃え、目的に合わせた形を選ぶことができるのとコストに合わせた商品作りが可能になります。
装飾
装飾の方法は様々で金線・プラチナ線による縁取り、ガラス繊維による色の吹きつけなど多種に対応いたします。
柄・ロゴ入れ
下絵付け・撥水絵付け・転写上絵付け・イングレーズ・手作業による線引きなど目的に合わせた方法で柄やロゴなどを入れることができます。
また、弊社にある商品を使用し絵付けをすれば低コストでオリジナル商品の製作が可能です。
彫刻
彫刻・レリーフは成形型に柄を彫ります。側面、底などに凹凸を造りだし立体感のある商品ができ、花や植物などといった自然のモチーフから幾何学模様などその形は様々です。
そこに絵付けなどで色や柄を入れ、より際立たせることもできます。
ハンドル
ハンドルは1500種以上の様々な形を取り揃え、その中からご要望に合った形のものを選んで取り付けます。
もちろん、オリジナルでのハンドル製作も可能です。
色
パステルトーンやマットなどご希望の色を原料から調合します。
色サンプルを作成しお客様のイメージに出来る限り近い色を再現し、内側と外側の塗りわけなどの多色使いもでき還元・酸化焼成が共に可能です。
QUALITY
「 1300℃24hr Reduction Firing 」
この数字と言葉が意味するものは、最高ランクの品質・耐久性・安全性を示しています。
最高温度を1300℃まで上げて24時間しっかりと焼成することにより土の中にある不純物をできる限り燃焼させます。
さらに還元焼成といって焼成中に窯の中にある酸素をなくすことにより土の純度や密度を高めることが可能となり製品の強度をより高めことができます。そして、白さや透光性も兼ね備える白磁の製品を製作することかできます。
陶磁器を焼く窯の設定温度は通常1270℃の温度帯で焼かれることが殆どで、1300℃あったとしても焼成時間が4時間と短時間の窯元もあります。
しかし丸朝製陶所では手間を惜しまず、コストと時間をかけより品質の高い製品作りを心がけて100年後でも末長く使えるような製品を作り続けています。
● すべての商品が食品衛生法の基準値をおおきくクリアしています。
● 「原材料成分表」「製造産地証明書」 など各種証明書を発行できます。
● カドミウム・鉛等の有害性物質などを含む原材料は使用しておりません。
創業1916年 美濃焼の里 岐阜県多治見市
HISTORY
国内最大のコーヒー碗皿を生み出してきた滝呂
滝呂の窯業は、一説に瀬戸の赤津城主松原下総守広長の子孫、領右衞門が慶長(1596-1615)初年に窯を開いたことに始まると伝えられている。
中世の山茶碗の窯跡が存在しており、さらに16世紀の大窯である滝呂日影窯では鉄釉や銅緑釉の天目碗や灰釉丸皿、擂鉢などが生産されていた。江戸時代になると連房式登窯によってもっぱら日用品食器の生産が行われ、同地の生産高を記した寛政12年(1800)の「年内焼高覚之帳」にも徳利や茶漬茶碗、片口などを盛んに焼いていたことが記されている。
 近世の滝呂において特に注目されるのは寛政5年(1793)、加藤定吉が京都の聖護院の御門主へ水指を献上して、滝呂焼の銘を受けたことであり、今も定吉に与えられた滝呂焼銘の書付が残されている。文化・文政(1804-1830)年間頃には磁器の生産が可能となっていて染付製品やそれに先行する柳茶碗、石器の広東碗などが作られおり、これらの陶片は窯跡からも採取されている。明治初年から20年(1887)当時は小皿の生産が盛んであって、そのほとんどが三五皿や4寸皿であったといわれ、内国観業博覧会の出品目録にも確認ができ、第二回三回と手描きの人物画、盆栽画、桔梗画、青磁蘭画などを絵付けした皿の出品がみられた。そして、明治前期の貿易拡大の傾向からコーヒー碗皿の製作が始まり博覧会にも出品されています。
 小皿を特産としてきた滝呂であったが和食器販売の著しい不振に際し、輸出向製品への転換が議論され本格的に生産に乗り出すことになったのがその時からである。本格的なコーヒーカップ&ソーサー製造の始まりである。ちょうど日露戦争前後は輸出陶磁器業界の一大隆世紀であって、陶磁器絵付業の集積地であった名古屋へ滝呂の白素地も多量に供給されていったのである。20世紀初頭のこうした製品の転換はその後の質・量ともコーヒー碗皿の日本一を誇ることとなった滝呂の第一歩となっていきました。明治時代から大正期にかけては、とりわけ製造における技術確信をみた時期となり、明治42年(1909)に多治見に営業用の石炭窯が登場したのをきっかけに滝呂にも多くの石炭窯が薪窯から変わって採用されました。当時のヨーロッパにおける磁器焼成は石炭窯が一般的であり、薪材を燃料とした登り窯に変わる近代的な窯の導入は輸出向洋食器の焼成にも適していた。よって、滝呂における登り窯から石炭窯への転換は美濃地域で最も早く、大正年間にはほとんどが石炭窯に変わったと言われている。こうして窯、ろくろをはじめプロダクトとしてのものづくりを可能とする技術の革新により、第一次世界大戦の好状期にはコーヒー碗皿の生産は飛躍的な発展を遂げ滝呂の製陶業のほとんどはこの期に輸出向けに転換しました。
 そんな土地で生まれ育った初代創業者松原朝一は大正5年9月(1916年)に白素磁に一番適した石炭窯を築きマルア製陶所として創業しました。 日本の喫茶店第一号が明治21年(1888年)に東京.上野に誕生したとされ、この頃から一般層にも少しずつ普及し始めたコーヒーを飲む器に朝一は着目し日本国内では早い時期よりコーヒー・ティーカップ&ソーサーを専門に生産を開始します。ここから丸朝製陶所カップ&ソーサーの歴史は始まります。
そして1951年1月4日二代目松原平太郎はマルア製陶所を法人化、有限会社丸朝製陶所としこの頃より本格的に陶磁器を生産してそのほとんどを海外へ輸出し始めました。
その8年後の1959年、滝呂町の地にあった石炭窯を止め現在の多治見市星ケ台に重油によるトンネル窯を築くと同時に設備の近代化をはかり増産体制を取ります。その生産数は1日にカップ&ソーサーで約2万個という今ではない計り知れないような数の陶磁器を生産していました。もちろんすべてOEMによる製品です。
1991年三代目松原朝男が社長となり翌年に全自動ファイバーシャトルキルンを導入し以前の量産体制から少量多品種へと生産をシフトします。
松原圭士郎 (株)丸朝製陶所
創業1916年 美濃焼の里 岐阜県多治見市
COMPANY
社 名
株式会社丸朝製陶所 / MARUASA PORCELAIN FACTORY co.,ltd
所在地
〒507-0811 岐阜県多治見市星ヶ台3丁目8番地
創 業
大正5年(1916年)
資本金
1000万円
事業内容
国内外陶磁器和洋飲食器・製造・販売
代表者
代表取締役社長 松原 圭士郎
沿 革
大正5年
(1916年)
岐阜県土岐郡笠原町(現多治見市滝呂町)に「マルア製陶所」として創業
昭和26年1月
(1951年)
「有限会社丸朝製陶所」として法人に組織変更
昭和34年
(1959年)
多治見市星ヶ台3-8(現住所)に移築 50mの重油連続焼成炉を設置
昭和54年
(1979年)
ガス式トンネル窯を設置
昭和59年
(1984年)
全自動成型機3基を導入
平成3年8月
(1991年)
「株式会社丸朝製陶所」に組織変更
平成4年
(1992年)
全自動ファイバーシャトルキルン1基を設置
平成9年
(1997年)
全自動ファイバーシャトルキルン2基を増設
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